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101件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1983-02-23 第98回国会 衆議院 逓信委員会 第2号

そこで私が、歴代、梶井総裁、大橋総裁、当時の公社改正にかける熱意、院内を飛び回って一生懸命、総裁、副総裁以下公社一体になって公社法改正のために大変な努力をしたということもこの後に私はあなたに申し上げて、まあ就任後間もないわけですから、それ以上私が言うのも大変失礼と思いましたから、私はそこでとめてはおきましたけれども、そういう経緯がございます。  

鈴木強

1978-04-18 第84回国会 参議院 逓信委員会 第9号

この言葉大橋総裁ではなくて梶井総裁のお言葉でございます。  当時、私ども、官庁から公社になった、世の中が明るくなったというような気持ちで、もうこれからは役人ではないと、公社人だと、経営人だと、経営者だとか企業人だとか、そういう言葉でわけもわからずいろいろと張り切った記憶がございます。

秋草篤二

1976-10-26 第78回国会 参議院 逓信委員会 第6号

説明員遠藤正介君) 梶井総裁総裁になられました当時、つまり公社発足当時の訓示そのものは私いま手元にございませんし、記憶をたどりながら要点だけ申し上げますと、要するに、いままでの官庁的な経営ではなくて経営自体を改める、したがいまして、われわれ働く者にとりましても、従来のような役人というような観念ではなくて、たしかそのときに前だれがけという言葉を使われたと思いますが、前だれがけの精神でやれ、こういうようなことを

遠藤正介

1971-05-18 第65回国会 参議院 逓信委員会 第17号

十数年間これについては、初代梶井総裁以来声を大きくし、何回にもわたって、独立採算性公共性一体どうかみ合わせて電信事業というものを均衡のとれた経営状態に持っていくか私は述べてきました。ときには席を立ったこともあります。退場したこともあります。激しい論争を加えてきております。しかるに収支の面については、電話が幸い黒字経営だからこれを電報に持っていけばいいんだ、そういう安易さもあったでしょう。

鈴木強

1969-05-06 第61回国会 参議院 逓信委員会 第14号

そういう意味ですけれども、しかし、その構想が出て、一体こういうものをどういうふうにマッチして——申し込めば電話はすぐ全国どこへでも通じる電話初代梶井総裁国民に約束してきたスローガンを一体下げないでいけるかどうか、私は下げないでいってほしいと思いますが。ところが一面から見ると、非常な日本高度経済成長政策というものが顕著な伸展をしたために、積滞も予想以上になってきております。

鈴木強

1969-05-06 第61回国会 参議院 逓信委員会 第14号

梶井総裁当時のこの議事録を拝見してみましたけれども、積極果敢に前向きで委員会で発言をしておる。その後はどうも鳴りを静めたようなかっこうになっておりますので非常に残念に思いますけれども、さっきも委員長から資金その他の問題についてお話がございました。もっと欠陥を是正いたしますならば、限られた資金の中でももっと効率的に運営ができるかもしれません。

鈴木強

1965-08-05 第49回国会 参議院 逓信委員会 第2号

それから建設工事のやり方の問題につきましては、先ほど梶井総裁時代に比べて非常に繰り越し額が多いというお話がございましたが、あのころに比べまして、建設の規模も、当時は六百億とか七百億とか千億とかいう程度でごさいましたが、現在は三千億になっておりますし、パーセンテージといたしましても、昨年の比率を見ますと八%ですから、一昨年度に比べまして昨年の繰り越しはむしろ絶対額もパーセンテージも減っているような状態

米沢滋

1960-05-19 第34回国会 参議院 逓信委員会 第21号

鈴木強君 そこで公社当局にお尋ねしたいわけですが、前の梶井総裁がたしか二回外遊された際に、そういう動きをされたことは、この委員会でも、当時帰ってこられてからの報告を承っておるわけです。非常に電電企業というものが堅実ですから、しかも発展性があるわけですから、外国の市場においても電電事業というものはかなり高く評価されておる。従って見通しはかなり明るいという御報告は受けておりました。

鈴木強

1960-05-17 第34回国会 参議院 逓信委員会 第20号

そのことは、前梶井総裁ワシントンにおいて二回目の交渉をされたあと、私は銀行のシンジケートの一、二の人に会って聞いたのですけれども、とにかくPRが足りない。非常に日本はよくやっておることはわかる、実績も上がっておることはわかるけれども、しかし自分が言っただけで、一つの証拠を見せなければならない。それはやはりPRです。

山田節男

1960-05-17 第34回国会 参議院 逓信委員会 第20号

説明員横田信夫君) 前梶井総裁外国へ、アメリカへ行かれたときに、いろいろサウンドされましたことはお話の通りでありますが、まだあれもサウンドの段階でありまして、日本政府当局、そのほかの御意向、それから——もっとも日本国債が出ないうちに保証債というようなものが出るのがはたして妥当かどうかというようなことで、結局、機が熟しなかったと考えられるのでありますが、その後、日本国債が、終戦後初めて昨年

横田信夫

1960-05-17 第34回国会 参議院 逓信委員会 第20号

そのために前梶井総裁は、数回にわたって外国に行かれた。たとえばワシントンにおいてあるシンジケート団等とも話をされたということを、私も現地に行って聞いております。で、かなり見込みのある——私はシンジケートの人に会ったときに、この日本電信電話公社は非常に経営状態がいい、将来の見込みも非常にブライトだ、こういう意味から、投資についてはかなり好意を持っておったように私は聞いております。

山田節男

1960-03-17 第34回国会 参議院 逓信委員会 第7号

私は率直に言って、第一次五カ年計画が成功したということは、前にも言っているように、梶井総裁のあのきぜんたる経営者としての態度というものが、与党の皆さんを動かし、政府を動かし、調停段階、――仲裁という方法があったが、調停段階で済ますことができた。それで、勇気を持ってみんなが努力したからこそ、円満にいった。さきに言ったように、現段階においては、賃金というのは、一般公務員と区別されてしまっている。

鈴木強

1959-12-10 第33回国会 参議院 逓信委員会 第9号

当時私は梶井総裁からもそのことを聞いておるし、軍からも聞きました。そこで、これは御承知のように電電公社では公社体としてはたしてそういうことができるかどうか、法的にもそれは疑問がある、しかしながら今対外的に日本として技術の協力をするということになれば、これは非常な分野に分かれる。有力なメーカーはあるけれども、ばらばらである。

山田節男

1959-10-09 第32回国会 参議院 逓信委員会 閉会後第4号

かつてあなたの前の梶井総裁の際に組合との間に、この合理化を遂行する場合には従業員労働条件というものを向上さしていくということも確認がされているはずだと思うのです。ですから具体的に職場がなくなり、配置転換職種転換をされる人たち立場から見ると、もう少し覚書なり、確認に基いて労働条件の向上ということを考えてもらいたい、そういう気持があると思うわけです。

鈴木強

1959-03-26 第31回国会 参議院 逓信委員会 第19号

電電公社が従来の電気通信省、官営から公社経営に移った場合にも、当時の梶井総裁、靱副総裁をここに呼んでこのことを私は戒めたのでありますが、問題は、経営合理化ということを言いますけれども、これは単に思いつきじゃできない。私は、御承知のように電電公社がそのために設けた経営調査室のやることを見ましても、これはもう莫大な将来公社として利益を持たれる、能率が増進する。

山田節男

1958-10-17 第30回国会 衆議院 逓信委員会 第3号

まず最初にお聞きしたいのは、電電公社総裁にお聞きしたいのですが、これは前の梶井総裁にこの質問をしておりまして、それで公社の内部が不統一であるやに云々というようなこともあるので、強く忠告をいたしまして終りましたところが、その後急激に総裁、副総裁がかわりまして、この問題が宙ぶらりんになっておるわけでありますが、それは今日の電電公社が一応フィリピンあるいは台湾、ヴェトナム、そういう方面に対する通信施設等

森本靖

1958-10-08 第30回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

またあなたの人柄も信頼をいたしておりますので、具体的には多くを申し上げませんが、あなたもまた梶井総裁や、副総裁や、中尾技師長のように、やがて同じ運命をたどるとは思いませんが、少くともよほどしんを強くして公平な立場でごらんにならないと、そういう残骸がまだ残っております。その残骸とは何かといいますと、たとえば自分の上司に気に食わぬことがあれば、政党の幹部にいわゆる公社幹部クラスの職員が陳情する。

上林山榮吉